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Posted by あしたさぬき.JP at

2014年04月16日

大原美術館






最初にお断りしておきますが、私の思いいれにより、超長文です。


高松に帰ってきてからずっと行きたかった大原美術館。
帰高9年目にして、やっと行ってきました。

大原美術館のウェブサイト



初めて行ったのが、高校のときの遠足でした。
私の母校は、13クラスまであるマンモス校だったので、当時、遠足はクラスごとに生徒が計画して行っていました。
私のクラスは「芸専」…まあ、文系、理系、芸専と分類されるのですね。
そして、クラスの中の美術系女子の主導で、大原美術館に行くことになったのでした。
何の予備知識もなく行った大原美術館は、ものすごく衝撃的に楽しかった!!!
倉敷に、こんな1日じゅうかかって鑑賞できるような立派な美術館があることにも感動したのでした…
以来、高校~大学時代に、何度も訪れました。10回近くかと、、、
1人で行ったこともあったような気がする。でもいつも1人じゃなかったはず…
そのほかは、誰と行ったのかさっぱり覚えてないよ…それほど、絵を観ることに集中してしまうんだよマジで、、、

当時は、瀬戸大橋はなく、宇高(うこう)連絡線という船で本州に渡り、そこから電車とバスを乗り継いで倉敷に行っていました。
そんな行程も含め、日帰りわくわく旅行だったなあ、、、


…回想はこのくらいにして、
約30年ぶりの大原美術館。

お付き合いいただいたのはSYOさん。
…って、書いておかないと10年も経ったら忘れるからさ~~~




JR木太町(単線、無人駅)から出発。画像はもうすぐ高松駅なので、複線





高松駅で駅弁を物色




意外と美味しい駅弁。御三家(と勝手に私が思ってるだけ)→あなご飯、牛飯、タコ飯…迷います、、、




「マリンライナー弁当」ってのが、あるじゃん。まるごと全部!って感じ♪コレにしよう~~




これがマリンライナーね




中身は二段になってる♪



てんこ盛りでどれも全部とっても美味しかったよ。でもちょっと塩分多め。
ご飯はかなり薄味だったけど、それでも出汁だけで炊いてくれてたら嬉しいな~と、、



瀬戸大橋を渡りつつお弁当と缶チューハイを♪






倉敷に到着!




…30年の月日は長すぎて、何も思い出せない、、、
っつか、変わり果てているのであろう、、倉敷はもっとこぢんまりとしたところだった気がする、、、

駅から大原美術館までは、徒歩10分余り。

ちょっと寄り道をしてみることにしました。




美観地区の町並み












こんなに素敵だったっけ… あまり覚えがない。なんだか初めて来た町な感じ



高台に上ってみました。丘にはまだ桜が咲いていて、ちょっと上から見下ろした美観地区は、甍の波がとても美しい…
ここでお弁当食べたかったな~~










さて、いよいよ美術館へ。





本館、 分館、工芸・東洋館、児島虎次郎記念館(アイビースクエア内)からなり、
全部真剣に見ると1日かかります。
今回はわりとさっぱりめで4時間コースの予定♪

エル・グレコ、ゴーギャン、モディリアーニ、モネ、ピカソ…などなど、西洋、近現代の巨匠の名画が並び、圧巻な本館。

どの絵も見覚えのある懐かしいもので、再会が嬉しかったけれど、どぉ~~~しても特に1点を挙げろというなら(いや誰も言ってないけど、自分で一応、だらだらとならないように自制してるワケです)、エル・グレコ「受胎告知」です。(冒頭の画像)

エル・グレコの作品は、大昔、プラド美術館でこれでもか!と見ました。
あまりにも大きな作品が次々に迫りくるような印象で、当時の私には、受け入れ態勢がなく、突然の嵐に遭遇しているような感覚だったな。
エル・グレコは、特に好きな画家でもなく、
それでも、好むと好まざるにかかわらず、名画というのは、こんなにも人を圧倒しまくるのか…と、受けて立てなかった自分が残念だった、、、

大原美術館の「受胎告知」は、えっ、こんなに小さかったっけ…という印象でした。

でも、鮮やかで、赤と黄と青、光と影で、無限の奥行きがつくられていて、斬新で、500年以上も前の作品と思えない。
1枚の絵によって、2000年余り前の受胎告知の瞬間と、エル・グレコの生きた心と、今ここに立っている自分が繋がる。
点が重なる…というかな? …凄いぞ、、、

この感覚は、クリスマスに、ストリートライヴで賛美歌を歌っているときにも、ものすごく感じるものと同じです。


この絵を児島虎次郎氏が買い付けた経緯などの解説もあり、
大原美術館の成り立ちや沿革についても、若かりし頃と違い、よぅ~~~く理解いたしました(^_^;)
SYOさんは、「大原美術館」とはなんぞや…と、そこのところをまず最初に押さえたっぽく、児島虎次郎氏に親近感を持たれたご様子。


さて。
本館、分館、工芸・東洋館~~と見てまわり、それぞれ楽しみましたが、最後に、アイビースクエア内にある児島虎次郎記念館に、ちょっと立ち寄るつもりで入りました。

ここがすっごく楽しかったし、感動したのよぉ~~~~!!!!

紀元前2000年前の古代オリエントの土器や装飾品?などなど、作者不明の、日常に使うもののようですが、
めっちゃおおらかでユニークで、かわいい!! 少年少女の世界だ。
形も模様も、すごく生き生きとして、屈託なく、無垢で、無邪気で、ものすごくわくわくした♪
縄文式土器って、楽しくわくわくするじゃないの。
それとかなり近いけどかなり上回るわくわく感♪
やっぱり、BC2000頃のオリエントのほうが、日本の縄文時代の同じ時期より技術は発達してるんだな~当たり前だけど。

紀元前2000年といったら4千年も前だよ。想像できない(@_@;)
しかし、このお皿や急須みたいなのを見ていたら、やっぱり重なる。4千年前の人と私。

「縄文」のうたをつくるという志は、忘れていません。
しかしこの記事を書いてから3年も経ったのか… 去年のことのような気がする、、、

このとき、作品を遺してもそれが永遠に存在するわけではないと嘯いてましたが、
4千年も存在し続けて、今の私に語りかけるなんて、人間にとったらほとんど「永遠」だ!
人の歓びも悲しみも欲も、4千年を経っても、なにも変わらないのだね、きっと。
…いや、欲だけはどんどん膨張しているのかもしれない。

閉館間近で、ゆっくりできなかったのがとっても残念。

この記事を読んで「行ってみよう」と思われた方、ぜひ「児島虎次郎記念館」をゆっくり鑑賞する時間をご用意ください。






美術館庭園



美術館シルエット



美術館の周辺はこんな感じ



人懐っこい白鳥が遊んでいました



おみやげ屋さんのお漬物、すべて試食できます。ご飯ちょ~だ~~い(^_^;)




JAZZ アヴェニュウ



美術館を出て、JAZZカフェでビールを飲んだら、もぉ~勢いがついて、その後、またまた居酒屋へ~~(^_^;)
飲み始めてしまったら、もうカメラのことは忘れてしまいました。






コレが最後のショット





しかしこの日は、Takに駅弁を買って帰らず、お望みどおり家に帰ってからちゃんと夕飯作ったもんね。カジキのカツレツ!
おっっそぉ~~~い夕飯だけど。


次は、大塚国際美術館(鳴門市)にいきたい。
めっちゃ広いので、今度はマジで、開館~閉館までどっぷり浸りまくりたい。
写真撮影OKなので、いつになるかわからないけど、お楽しみに♪

  


Posted by TAKAMI at 00:35Comments(0)人生妙なり

2014年03月12日

3.11






3年前のあの日のこと
忘れられません。

2011年は、実父と、生徒さんのJINさんをたて続けに見送った年。

3年前のあの日、車の中で地震速報を聞いた。
家に帰ってTVをつけたら、大津波の中継をやっていた。
直視できず、TVを切った。

暫くしてJINさんからtelがあった。
カノジョが津波に遭ったようだ…

地震のまさにその時、入院中のJINさんは、彼女と電話中だった。
今切ったら次に繋がるのはいつになるかわからないから、ずっとこのまま繋がったままにしよう
…と言っていたのに津波が到達したその時、電話が切れてしまった。
津波に飲まれたに違いない。
これから彼女を捜して助けにいくから、バイクの手配をしてくれないだろうか…

助けに行くったって、その体で!? 病気のお母さんはどうなるの??


…とにかく、彼女は無事で、JINさんは9カ月後に亡くなった。

当時、実父は、肝臓癌で、超絶痛い手術を終えたばかりだった。消耗しきっていた。
もう長く生きられないとしても、清潔で暖かなベッドで家族と過ごせる日々はなんと幸せなことか。

3年前に直視できず切ってしまったNHKの中継の映像を、今日観ました。
過去のこととわかっていても、辛すぎて、やっぱりやめたくなったけど、、、

3年前には、「中継」だったので、流されていく車の映像に向かって、手を合わせ祈ったけれど、今、これを観て何をどうすればいいのか、、

黙祷の時間、
「神さま」…と言ったきり、次の言葉がなにも出てきませんでした。


天皇陛下のお言葉。今でも色褪せず、これからも生き続けるお言葉。


被災者のこれからの苦難の日々を

私たち皆が様々なかたちで少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います

被災した人々が決して希望を捨てることなく

身体を大切に

明日からの日々を生き抜いてくれるよう

また国民1人びとりが 被災した各地域の上にこれからも長く心をよせ

被災者とともにそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを 心より願っています


  


Posted by TAKAMI at 23:02Comments(0)人生妙なり

2014年01月08日

ミュージシャン新年会 後編








15 エエカンジに出来上がりつつあります(^_^;)




さっこちゃんがお帰りになったあと、宴は後半に突入。

さあ、では、ベーシスト六さんにピアノを弾いていただきましょう。


16 ピアノも楽しそうに弾く六さん ええね~~♪


六さんは、最近ピアノを真面目に習っているそうなのですが、実は以前から、サティ:ジムノペディ,
 バッハ:平均律1巻ー1 など、ナニゲに弾けるのであります。

今回は「The Rose」 ベット・ミドラー

「ピアノソロじゃなくて、ヴォーカルが欲しいんだけど~~~」

「おもひでぽろぽろ」に、日本語の歌詞で挿入されてたこの曲。


17 偶然にもこの曲には思い入れありまくりのサチコさんがリードをとります



18 あああ~~めっちゃええ歌♪



19 私もずっと気になってた。賛美歌にもなってるし、ハモリで参入♪


…てことで、「The Rose」セッション成立。なんか渦のようですごい

http://youtu.be/CB4EgdpYlnk







TAKAMIはmacotoさんに所望され、昨年の新曲「うどんデート」を歌います。




20 ここでも、六さん、初見に挑む♪ かっちょエエぞ~ん(^_^;)



転調も、テンポの変化も、難なく対応。
譜面を追っかけながら、果敢に対応してくれました♪




21 SYOさんは常時 縄文人として、何事にも動じない、即時対応を常とされている。。




22 しっかし、私のこの終始一貫した風貌はどぉよ…今後はこのスタイルか!?!? ヘレン・TAKAMIと呼んでください( ̄□ ̄;)!!



オリジナルはコレね(^_^;)



さて! 次は本日のメインイヴェントともいえるセッション、「聖者の後進」!!

シンプルなコード進行、シンプルなメロディー、
誰でもノレる、ノレば、フェイクもできるし♪



23 画像はコレ1枚ですが、これが一番盛り上がり、Takを巻き込んで楽しかった




どんどんノリノリになっていって、誰に聴かすワケじゃない、みんなで楽しみまくりましょう!
…てことで、TAKAMIは、ちゃんとアホになり切って、リードしていたつもり(^_^;)


その後、宴は、ビートルズモードに…

六さんのベースと、サチコさんと私で、
「Come Together」
などなど、ベースとコーラスで成り立つじゃん!!ってことで、とにかく、もぉ、歌いまくり。


24 さっきからサチコさんが手にしているのは、スマホで即時歌詞が出てくるヤツね♪



25 ビートルズモードは延々と続き…




こんなこともあんなこともできるね…じゃあ、今年の夏には、こんな路線でライヴやりましょ…と、私の中では盛り上がりまくり!!
今年はTakが受験で、私のLIVE活動も自粛かな…と思ってはいたのですが、
TakはTak、母は母。


お互いに、できることはできる限りやって、悔いなくこの一年を過ごそう!



楽しい楽しいミュージシャン新年会でした。それぞれが、音楽やってることを、本当に良かった…と思えるひとときだったと思います。

私たちは、プロのミュージシャンとしてステージに立ち、お客様に伝えたい音楽を演っていますが、
内輪の盛り上がりってのは、ステージとはまた違って、めっちゃ楽しい!! やりたい放題、ハマりまくり♪♪ こんな中から次のLIVEに向けての構想が溢れだすのであります♪♪♪


早速、春のLIVEの計画を水面下で企画中。

去年はできなかった「WIND AND SOUN」のLIVE、NAYA-NANYAでのLIVE、順次、告知させていただきます。

どうぞ今年も宜しくお願いいたします。


  


Posted by TAKAMI at 12:36Comments(0)人生妙なり

2014年01月05日

元日の日記





1/1 元日は宅飲み&ミニセッション

朝9時到着の六さん(Tak父)を、Takと2人で迎えにいきました。

六さんとTakは、2年ぶりとあって、これからの4日間、凝縮の日々♪

Takと私は、元日礼拝へ。その後、実家へ新年のご挨拶。
最近ピアノを真面目に習い始めた六さんは、TAKAMI家でピアノを弾きながら待機。

さて。その後、TAKAMI家で準備しておいたおせちと、ベース、暗譜、アルトサックスなど楽器類を持って、3人でSYOさん宅へ。
おせちは、「Oisix」のおせちと、実家からいただいた「二蝶」のおせちと、
母の手作りのお煮しめ&鰤照り。

これだけあれば、3日3晩飲めそう~~~(^_^;)


ところで、本日の元日礼拝は、一般的な「初詣」みたいなものだけど、
全然晴れやかでなく、暗く、シビアな内容の説教でした。
牧師先生は、年末の首相の靖国参拝などにも言及し、東日本大震災の傷も未だ生々しく、新年ごとに薄らいでいくものではない…などなど

日本人って、普通、「気持ちの切り替え」を暦に従ってやっていく習俗があって、
春夏秋冬の「節分」を大切にしている。
これも、神道に則しての宮中行事だったりするようなのですが、日本人は、クリスマスもお正月も、何もかもごちゃ混ぜで、「宗教」ではなく「習俗」。
あまり深く考えず、「ありがたい」ことは、ありがたく、素直に受け入れるという国民性がすばらしいのだと思っています。
春夏秋冬があるから、俳句の季語もある。
クリスマスも、お正月もお雛祭りも、終わればイッキに気持ちを切り替える。
そのけじめや、切り替えは、私にも潔いと感じ、日本人ならではの美徳のように感じます。
個人的には、この「区切り」がなければ、部屋も永遠に片付かないし、どんよりした気分を一掃する機会もなく、けじめのない日々をだらだらと過ごしてしまうと思う。

「元旦」の「旦」とは、朝日が昇る様子を表しており、元日の太陽を神として拝むという意味があるので、キリスト教では「元旦」という言葉は使わないのだとか。
正直いって、私としてはとっても違和感を感じました。
太陽が神さまだなんて、いまどきクリスチャンじゃなくても誰も思ってないよ。
元日の初日の出を拝むっていうのは、太陽を拝んでいるわけじゃなく、太陽に向かって神様に感謝しているってことじゃないの?
富士山でご来光を拝むことも同じと思います。
この美しい世界を創られた神さまに感動し、感謝して、手を合わせずにはいられないのだと。

神さまを信じて礼拝することと、この日本の風土の習俗は混同すべきでないのではと…


…とまあ、固いことはこれにて終わり。


さぁ~~~
宴じゃ~~~~!!

これでもか!と、六さんがおせちの画像を撮りまくってくれたので、これでもか!とアップさせていだだきます。

私が作ったものは何もナシなのですけど( ̄_ ̄|||)





二蝶のおせち







Oisixのおせち




TAKAMI母の手作りお煮しめ…これがいちばんお箸が進む



SYOさんと六さんと私…&Tak
って、世間一般的には不思議なグループかもしれないけど、もう長い間続いてる。
これからもずっと大切にしたいです。



鰤照り



ハゼの甘露煮






プレ・ミュージシャン新年会♪


食べつつ飲みつつ、途中で演奏あり。
六さんは、最近習い始めたピアノをソロで披露。
「痔にはボラギノール」のテーマでアドリブ炸裂。
TAKAMIは、「かあさんの歌」ピアノソロ。

「うどん」やら「スーパー」などのアルバイトを初めてからこの季節になると指のひび割れが酷く
「かあさんの歌」の歌詞の「あかぎれに生味噌をすりこむ」ってのが思い浮かぶんだよね~~(^_^;)
ソレって、めっちゃ痛いじゃん。
因幡の白兎みたいじゃん…
…てなわけで、「かあさんの歌」を検索してみる、、、



母さんの歌



窪田 聡 作詞/作曲



かあさんが 夜なべをして
手袋あんでくれた
木枯らし吹いちゃ 冷たかろうて
せっせとあんだだよ
ふるさとの便りはとどく
いろりのにおいがした


かあさんは 麻糸つむぐ
一日つむぐ
おとうは土間で わら打ち仕事
お前もがんばれよ
ふるさとの冬はさみしい
せめてラジオ聞かせたい


かあさんの あかぎれ痛い
生みそをすりこむ
根雪もとけりゃ もうすぐ春だで
畑が待ってるよ
小川のせせらぎが聞こえる
なつかしさがしみとおる



私が、いちばん感動したのは3番の

「根雪もとけりゃ もうすぐ春だで 畑が待ってるよ」

このフレーズが、このうたのすべてを包みこんで、風景が果てしなく広がっていきます。
素晴らしいうたです。

この曲は、かあさんからの手紙と、作者の思いが交錯しています。
3~4行が、かあさんからの手紙の文章。
…ってことに初めて気がついた。
子どもの頃から知ってた歌だけど、なんだかビンボーくさい、しみったれた歌、北国は自分には関係ない…みたいに思っていた子ども時代。
改めて味わうと、本当のこの歌の心が滲みとおります。
もちろん You Tube で捜したけど、素晴らしいと思う演奏は見つかりませんでした。

私が歌う。


「あかぎれ」からこの歌に至る…私の生活と音楽はこのように繋がっていくのであります、これからも。
実は大晦日にも、池田秋濤先生のNAYA-NANYAを訪問し、ピアノでなんかやってと言われて、この曲を弾きました。
即興でしたが、先生には、「ええもんを聴かしてもろーた」と仰っていただきました。


近日中に、WIND AND SOUND  ライヴの告知をさせていただく所存です。



でっ。
このあと、全員で仏生山温泉にいって、めっちゃ「イモ洗い」状態の中、低温炭酸風呂だけは空いている(^_^;)
のんびりまったりゆるゆると浸かった後、夜の部。
私は翌日朝から仕事なので、早々に寝ましたが、3人はミニセッションやら、DVD鑑賞で盛り上がっていたようでした。


  


Posted by TAKAMI at 20:09Comments(0)人生妙なり

2014年01月05日

スペシャルな4日






やっと新年のブログ更新ができます。

元旦~今日まで、スペシャルな日々を過ごしていました。


元旦にTak父が来讃。今日の夕方の飛行機で帰りました。
Takにとっては、2年ぶりの父親との再会、感慨深い日々でした。


元日

朝、空港にTak父を迎えにいき、Takと2人で教会に元日礼拝に行き、実家にお年玉を貰いにいき、SYO邸で4人でおせちをいただきました。
昼から飲み、夕方には仏生山温泉の低温浴に浸かり、酔いをさまして、夜も再び飲みに突入、、、



2日

私は、この日より毎朝「スーパーの女」
でも、送迎付き♪ 
TakとTak父は、勝手に2人で我が家をWiFi環境にしてしまった( ̄□ ̄;)!!
夜は夜の帝王、ヘルプデスク「おっさん」といわれる同級生に紹介してもらった超スタイリッシュな鉄板焼き系のお店でコースを堪能♪


3日

ミュージシャン新年会♪
ヴォーカル…サチコさん、テナー…さっこちゃん、アーキテクト…macotoさん、それに、私たち4人という、少数精鋭メンバーでの宴♪
セッションあり、Takも参加して、めっちゃ楽しく充実した新年会となりました♪♪


4日

Tak父とお別れ。
4人で、さぬきうどんを食べ、温泉に行って、お見送り。

とーちゃん、また会おう!



こんな感じの、ぎゅぎゅっっっと凝縮の4日間でした。


画像はこれでもか!と撮りまくりました。
また順次アップさせていただきます。



冒頭の画像は、Tak父、六さんが、元旦の朝の飛行機から撮った写真
  


Posted by TAKAMI at 00:39Comments(2)人生妙なり

2013年12月24日

Merry Christmas!






Merry Christmas!


初めてのかたも、久々の方も、
いつも私のブログに訪れてくださるかたへのささやかなプレゼントです

来年こそは、違う曲をお届けしたいです。毎年バタバタで間に合わなくて(^_^;)


↓クリックしてね♪



受け取って下さった方は、ひとことコメント残していただけたらとても嬉しいです♪


よいクリスマスを!

                 
TAKAMI

  


Posted by TAKAMI at 16:23Comments(0)人生妙なり

2013年12月23日

今ある幸せ





昨日は冬至だったんだ…

教会のリスマス礼拝~祝会で、慌しくしていたので、2日ぐらい前までは覚えてたのに、
すっかり吹っ飛んでました。

冬至には、かぼちゃを食べ、ゆず湯に入る…って、あまりちゃんとやったことないけど、
ニッポンのこの風習、さすが先人の知恵…と大切に思います。

もう終わっちゃったけど、
冬至に「ん」のつく食品を食べると幸運が得られるという言い伝え、ご存じでしょうか?
私が勤務してるスーパーではコレで商戦やってました。
「なんきん」「にんじん」「れんこん」「ぎんなん」「きんかん」
「うんどん(うどん)」てのもあるらしい。
うどんは運(うん)・鈍(どん)・根(こん)に通じるんだってさ。

体の芯まであたたまりそうな根菜や、あったかい「しっぽくうどん」…
冬至じゃなくても、この季節には身体が欲しがる食材ですよね♪


ところで…

話は「ストリートライヴ」当日に遡ります。
この日は、夕方から atatachanちでクリスマスパーティー♪

メンバーは、atatachan&ダーリン kyokoちゃん&ダーリン TAKAMI&Tak

例によってあまりにも楽しかったので、画像は撮りそびれ、ナシです。
atatachanが、かろうじて、宴の始まるときだけ撮っててくれてたので、拝借してきました。
(冒頭の画像)

でも、これはオードブル。

メインは、「ピェンロー鍋」





そして、鍋のスープで作るワンタン





すべて、atatachanのブログより拝借m(_ _)m

どれもこれも、絶品オンパレードでした。スゴすぎる(@_@;)
ご興味のある方は、こちらをどうぞ♪


atatachan、「今日はほんとに鍋だけやから~」って言ってたのに、
なによぉ~~ このオードブルだけでも超美味しすぎて、お腹いっぱいになるじゃん!
私だったら、
「今日はめっちゃ気合入れて作ったから、めっちゃ楽しみにしてきてね!」
って言うよぉ~~(^_^;)


私は、翌日絶対に納品しなくてはいけない譜面をまだ書きかけだし、
明日は絶対早起きして、体調整えて臨まなくてはいけない長い1日なのです。
ゆっくりゆるゆると、鳥が啄ばむように、味わいつつ、やってました(^_^;)
だから、撃沈せず、最後までひたひたに楽しく幸せだった~~~

しかし、atatachanは、「さあ、ここからはセルフよ」ってつもりだったのに、
誰も手を動かそうとしないので、
スープのワンタン何十枚も、全部ひとりで包んでくれて、
挙句の果てに、撃沈…
テーブルにうつ伏して、すやすとお休みになられてしまいました~~( ̄□ ̄;)!!

いんや~~ 申し訳ないと思いつつも、
お尻には根っこが生え、手は食べるためにしか動かず、、、

息子Takは、塾が終わってから遅い時間に合流したんだけど、ガッツリ食べて、
オッサン、オバサンに混じって和んだりいじられたりした挙句、このような状態に…






幸せな夜でございました…



「今ある幸せ」


さて、今日のお題です。

Takが保育園の頃、Hiroくん親子と、
しょっちゅう保育園の帰りに立ち話をしては流れで一緒にどちらかの家で夕飯を作って、
スタンディングバー状態で飲んで食べていた時代。
幸せでほんとにとっても楽しかったよ。

Hiroくんママは、当時を振り返って、「思えばあの頃がいちばん楽しかった」
…と、ある時言いました。

エッ… 

だってあの頃は、強情なHiroくんの性格に悩み、
仕事のことやプライベートや、いろんなことで悩み、
今が幸せなんて、全然思ってなさそうだったじゃないの。
私には、当時よりも今のほうが、Hiroくんも成長して落ち着いたし、
いろんな意味で、
とっても心も穏やかで、いい日々を送っているように見えるけどな…

そんな今の幸せを、数年後になってようやく「あの頃は幸せだった」っていうのって、
もったいない…っつか、残念すぎるじゃないの。

私は、見栄でも自慢でもなく、
これまでの人生で「今よりあの頃が幸せだった」…と思ったことは本当にないのです。
私の人生の中でもまあ金銭的に豊かだったバブリーな時代は、
確かに幸せだったけれど、
「今より幸せだった」とは全然思っていません。
当時は、スーパーにいったら、牛乳でもお豆腐でも納豆でも、
「高いもの」を選んで買っていた。
雑誌で見つけた欲しいものは、どこまでも買いにいっていた…

でも、当時持っていなかったものを、今の私は、たくさん手にしていると思っています。
いえ、正直いって、時々、Takの勉強のことと、貧乏なことにはどんよりすることあります。
でも、「どんより」もあまり長続きしないんだよね。

「今ある幸せ」はこぼしたら拾い集め、残さず味わいたい…貧乏性ですから(^_^;)


今ある幸せを数えることが、断然お得です。オススメです。

何もエラソなことはいえないけど、
そして、いつもお読みくださっている方にはまたか、しつこい…ですけど、

元気で働けることと、
そのお金で好きな食べ物を買って、
美味しく食べられること


これが、最高の幸せだと心の底から思います。
家族があっても、ひとりでも。


いつか私も、人生の最後のほうには、
体を壊して働けなくなり、食べられなくなるときがくる、、、
そんなとき、何を幸せと思えるのか、今はわかりません。
ベッドから見える雲の流れや、星空を見て、幸せを感じることができるのか、、、

それはその時になったら語ることとします(^_^;)


それまでずっとブログは書き続けるつもりですので
どうか末永くお付き合いくださいますよう、お願いいたしますm(_ _)m




昨日もアップしたこの動画、
このところ痺れまくっています。
超テクニカルでハートフル。
TAKAMIが魂こめて!オススメします。
どなたさまも、もれなくご覧くださいね。
フル画面で、ヘッドフォン推奨。
絶対、3分40秒でで幸せになれるよ♪

すべてのみなさま、幸せなクリスマスを♪♪





  


Posted by TAKAMI at 19:01Comments(0)人生妙なり

2013年12月02日

栗林公園ライトアップ~牡蠣鍋パーティー♪






今年もいってきました。栗林公園、紅葉のライトアップ♪

めっちゃきれいやったわ~~~♪♪

2007年から、ほぼ毎年いってる。たぶん父が亡くなった年以外は。
今年は、そんな中で、特別にきれいでした。全然違う! 
担当アーティストの方がこれまでと違うんだろうか?? 
木々や景色の見せ方が素晴らしく、感動的でした。




この風景、なんだかバリ島のトランスな夜…って感じで、作者のアーティスト魂に感動した

SYOさんとバーバラ(仮名…高校時代のお友達)と3人で行きました。
バーバラは足が少し不自由なので、私とバーバラはゆっくり2人で歩きます。
SYOさんは10メートルぐらい先へさっさと歩いては、ゆっくり私たちが追いつくのを待って、
「ここがきれいだよ」と、無言で案内してくれるのです。
まるで犬のようです{/dog_right/}




















コレをアップしている今日はもうライトアップ終わってる。
もっと早く行って、みなさまにご紹介したかったな。
ほんとに栗林公園の夜の美しさが、すごく思い入れをこめて引き出されていると感じ、
公園の美しさに加えて、今年はアーティスト魂に共感しました。


でも、残念ながら、私の古いデジカメとシロウトの腕では、伝えきれません。
殆どが失敗で、ここにアップしたのは、かろうじて、まーいっか…っていう程度で、大変不本意なのです。
ほんとはもっともっと美しい、やはりその場に佇んで、空気と一緒にゆっくりじっくり味わうものですね。
どうぞ来年はぜひお出かけください。


その後、バーバラとSYOさんを、成り行きで散らかりまくった我が家にお招きし、Takと4人、牡蠣鍋パーティーとなりました。
多忙が続き、ほんと~~~に荒れ果てて、一般常識では、お友達をお招きできる状態ではないのですが、、、
夜の栗林公園散歩が、あまりにもしっとり、よき時間だったので、このまま解散するのは残念すぎる…

バーバラの車に買い置き?してあった、イタリアのスパークリングワイン「GIUSEPPE VERDI」(私の尊敬する作曲家のなまえ)を開けて乾杯。
オペラの話、大学、高校、同級生だった私の初代夫の話…などなど、なんでもアリで、盛り上がりまくりました。
いんや~~もうホントになんでもアリやったな~~(^_^;)







なんだか久々に、家にお友達を招いて飲んで食べて語らった~~~

最近の我が家、もう散らかり放題で、とても人をお招きできる状態ではないのですが、
これを期に、ちゃんと片付け、いつ誰にお越しいただいてもいいようにしよう!!(以前はそうだったのだがな~~ヽ(`Δ´)ノ)






アドベント カレンダー バーバラからのプレゼント♪



…ってことで、今日は終日オフ。特に予定もなし、めっちゃ腰痛いけど、がんばって、大掃除やります。

なんだかすごくわくわくな師走…であります♪♪


  


Posted by TAKAMI at 11:14Comments(0)人生妙なり

2013年11月25日

音楽な、父3回忌





父が亡くなってからはや2年…

病院の付き添いをしていた時のことは、今でも、一昨日のことのように鮮明です。
だけど、父を思って悲しくて涙が出ることはありません。
父はきっと天国で、私たちを見守ってくれている…
楽しかった思い出だけが次々と湧き上がってくる…そんな3回忌でした。

父の菩提寺で、親族10人の、小ぢんまりとした法要でした。
葬儀のとき、あんなに大勢のダンス関係の方が弔問に訪れてくださり、お花で溢れかえる中、見送られた父も、2年も経てば忘れられていく…
ずっと忘れないでいるのは、一緒に遊んだ妹や、怒鳴られたりもしながら育ててもらった私たち子ども。
そして、無条件に可愛いがってもらった孫たちですね、、、


でも、パートナー、ヒロコさんにとっては、やっぱり、あの日のまま…
パートナーの死とは、本当に、自分の半分をもぎ取られてしまうようなものなんだろうなぁ…
ヒロコさんは、父が逝ってからずっとずっと、仏壇のお花やお水を取り替え、ご飯を供え、今でも一緒に暮らしているかのようです。

私も…いつかはそんな時がくるのかなと…まあそれはおいといて、、


さて。

私にとって、お経は音楽。
法要は、3ステージ、お線香のいい香りに包まれて、厳かで煌びやかで、非日常なコンサート、、
キリスト教でいえば、「グレゴリオ聖歌」ってとこかな。

お寺さん(讃岐の国では、お坊さん、住職さんを「お寺さん」といいます)の肉声が響き渡り、拍子木のような打楽器がリズムを沿え、
このまま突進すればトランス状態!!??…みたいな、、、

こんなこと思うのは、私だけでしょか…(-_-;)

最後の3ステージめは、みんなで一緒に斉唱のコーナーがあって
「帰命無量寿如来 南無不可思議光」…で始まる、ふつ~の勤行のヤツを唱えるのよ。
参列者には、歌本が配られ…

みんなで一斉にコレを唱えましょう…ってことなんだけど、誰も歌いません、、、
みなさま、歌詞を追うだけで、、、、
ダメじゃ~~ん、みんな、歌おうよぉ~~~!!!ヽ(`Δ´)ノ

お経って、一応、「歌本」によると、音程などなど、ざっくり決まりごとがあります。
ここは、ご導師さまのソロ、ここから合唱…とかね。
でっ、音の高低も歌本に記されている。
お寺さんの歌を聴きながら、歌本の記述を見ながら、なるほど、ここはこう歌うのか…と、記譜法をチェック、、


私、よう知っとるよ、この歌詞。
おばーちゃんが毎日仏壇で唱えてた。

みんなで高らかに合唱したかったなあ~~

お経は、各自、好きな高さで唱えられるってとこがスゴイんだわ。
西洋音楽の場合、「ラ」から始まる曲は、みんなで「ラ」とか、揃えなければならず、それぞれの曲にキィがあって、これは絶対!なんだけども、
お経は、「帰命無量寿如来 南無不可思議光」~~ってのは、キィってのはナシ。
それがなんとも荘厳な雰囲気で、会衆皆、好きな高さで唱える…けど、それが一丸となって、曼荼羅の世界をつくる…みたいな、、、

「帰命無量寿如来 南無不可思議光」の歌詞の意味は
「始めなく終わりのない永遠の時間の中で、どこまでも広がる世界の果てまでも、悩み苦しむ人々を見守り支えて(救いとって)くださる阿弥陀仏を、私は生涯(いのち)のよりどころとして生きてゆきます。」

やと! すごいや~~~ん、知っとんか~!弟よ(^_^;)
…つか、浄土真宗のみなさま!!

ちなみに、四国八十八箇所のお遍路さんが巡っているのは、真言宗のお寺です。
真言宗のお経は「般若心経」
時折、素晴らしい合唱に遭遇します。
これはこれで、また別途、記事かきます。


…でっ、
午後は、私の所属する教会関係。


クワイヤーチームの指揮やら、ストリートライブのバンドのリハやら。全部終わったのは20時過ぎ。
長~~い1日でした。

「ココではこのように盛り上がりましょう!高らかに歌いましょう~~!!!」
…っと、直にメンバーのみなさんに伝えて、音楽を作っていく。
殆ど素人さんで、私はこの人たちを牧師先生から…神さまから一任されたのだと感じる。
毎年のストリートライブ、私は「お手伝い」をさせていただいてました。
だんだん、私の役割は多くなってきたような気がしていましたが、
これからは、1人でも「神さまのことを、思い起こしてくれる」ための、私の割り当て…な気持ちで、真摯に敬虔に、しかし楽しく、やっていきたいです。

クリスマス前、クリスチャンは、それぞれの役割分担があり、ものすごく忙しい…
救い主、イエスさまの誕生を祝うためです。
カップルやファミリーで、スペシャルなディナー…とか、巷のクリスマスとは違いまくり。

教会でイエスさまの誕生をお祝いしたら、家に帰って泥のように寝る…だけ、、、、(^_^;)
私は、クリスチャンでもない時から、そんなクリスマスを数年やってきました、、、なんか、充足感あり、、、



音楽に宗教宗派の区別はないように思います。


  


Posted by TAKAMI at 09:45Comments(2)人生妙なり

2013年10月20日

最近のレッスン事情





私は、ピアノ&ヴォーカル講師…というのが本職であります。

専門は、「声楽」なのです。

「ピアノ」は、専門ではないので、「ここまで」は指導できます、でもその先を希望されるなら専門の先生をご紹介します…ということで、お引き受けしています。

専門は「声楽」だけど、私のレッスンにはもっと別の切り口があります。


曲を創る
アレンジをする
伴奏を作って弾く
譜面を書く
正しい音程を身につける
アンサンブルを体験する


これらは、私が子供の頃、教わりたいのに、誰も教えてくれなかったことです。

一生、音楽を心の友として楽しめるように、それぞれの生徒さんの「やりたいこと」に併せてフォローすることが、私の役割とおもっています。

そんな私の主旨も少しずつご理解いただき、クチコミで生徒さんも増えてきました。



夏のある日、私の音楽教室のHPをご覧になったという方からTELをいただきました。

「私は車椅子で在宅酸素の生活を送っている40代の女性だけれど、歌がうたいたくて、レッスンを受けたい。」
歌いたい曲も具体的にあり、目的は、ご自分と同じように障がいを持つ方に、勇気や希望を持ってもらえたら、それが自分自身の生きる励みにもなるのです…とのこと。

即、お引き受けしたかった。
しかし、私の自宅のマンションは、段差だらけで、彼女が私のレッスン室に辿り着くには、あまりにも「段差」の障害がありすぎでした。

私は彼女がどのような事情で今の状況なのか、家族構成も、どんな生活をされているのか、殆ど知りません。

ただ、彼女の現在の心身の状態、歌いたいという希望と、目標…などを伺い、私の自宅で無理なら、他を当たりましょうと、いろんな施設に問い合わせてみることにしました。

「声楽のレッスンを受けたい。」

ただそれだけなのに、障がい者のための施設でさえ、「個人」の音楽レッスンの目的ての部屋の貸し出しという規定はないとのことで、車椅子の彼女がレッスンを受けられる場所を捜す道は険しく、途中で頓挫しそうになりましたが、ついに、レッスンが実現となりました。
いや、私、絶対に諦めたくなかった。諦めるわけにはいかない。

障がい者のための教会。
「ひかりチャペル」
そこでは、設備費(冷暖房費)のみで、ピアノも使わせていただけるとのこと。

やった~ヽ(^o^)丿

早速明後日からレッスンスタートです。


今日は、私は、「おへんろの駅こくぶ」でミニコンサートでした。

「KAZEの弦」のボランティア活動です。

http://takami821.ashita-sanuki.jp/e694527.html

朝の「スーパー」勤務でへろへろのところ、ピアニストSYOさんにお迎えに来ていただき、拉致されるように、現地へ。
ガツガツと、供されたランチをかき込み、リクエスト曲のチェック…
リハなし、サウンドチェックなし!

…それでも、とってもいいコンサートでした。

70代超えるお客様が殆どだったかな。
そんな中で、アンコールは「夕焼けこやけ」
お客様に歌っていただきました。
素晴らしい澄んだソプラノがあちらこちらから聞こえてきました。

また、詳細は、別途アップします。



  


Posted by TAKAMI at 18:45Comments(0)人生妙なり

2013年09月26日

母の喜寿




9/25

この日は母の誕生日。めでたく喜寿を迎えました。

しかし、突然の訃報。両親(実父、養父共に)の古ーーーくからのお友達、ダンス仲間のTさんが亡くなり、今日はお通夜となってしまった。
私にとっても、小さい頃からずっと身近で、楽しく陽気な方でした。
でも、「おじちゃん」などと呼んだことはなく、いつも苗字で呼んで、「おじちゃん」って感じはなく、ダンス人…!?

家族ぐるみでお付き合いをさせていただき、私が子供の頃、家庭が複雑だった時代、奥さまに毎晩夕飯を作っていただいていたことも、、

この日私は体調不良で、レッスンお休みさせていただいてましたが、夜にはなんとか復活して、
お別れにいってきました。






Tさんは、享年84歳。実父が亡くなったと同じ歳。
男性の平均寿命を超え、天寿を全うしたと、、、周囲の人は思うかもしれないけれど、
家族は違います。
私は父にもっともっと生きていて欲しかった。
父が亡くなったのは私が51のときだったけれど、まだまだ、たくさん話もしたかったし、90になっても元気で踊っていると信じていました。


Tさんの奥さまは、18歳年下で、まだお若いです。いつもとても仲良しカップルでした。
今日、久しぶりにお会いしたら、とても元気溌剌で、気丈でいらっしゃいました。
大変だった介護の日々を、にこにこ顔で話してくださいました。
そして、これからは、1人だから、好きなことを思い切りやるわと仰っていました。
その明るさを見ていると、逆に長い介護の日々、どれほど大変だったか、
そして、最後のお別れが、どんなに辛かったか、胸に迫る思いでした。

数年前から体調不良で、入退院を繰り返していたけれど、Tさんのご希望で基本的にずっと在宅で、最期も在宅で、最愛の奥さまとお嬢さんに看取られて、お幸せだったことと思います。

Tさん、どうぞ安らかに…


自分のいろんなことと重ね合わせ、いろんな思いが心を巡りました。


私は80まで生きられるだろうか、そんなに長く生きても、収入もなく、Takのお荷物になるだけだ、、、
適当な歳で天国にいきたいなあ…
しかし、息子としてTakは違う。
「高齢出産はイカン。親と一緒にいられる時間が短いから。」
ボケでも寝たきりになってもいいから長生きしてほしいと(今は)言うTak。
私も、50を過ぎて親を亡くしても、まだまだもっと生きていてほしかったと思うんだもの、、、
やっぱり私も頑張って、元気で長生きしなきゃ…かなあ、、、

そして、やっぱり夫婦揃って元気でいるっていいことだなあと、、、
つれあいを失くすって本当に辛いだろうな。
あんまり仲良くない夫婦なら、残された妻は「あーやっと1人になれる、これからが我が人生」みたいに思うかもしれないけど、
(夫が残された場合は、また別)
私の周囲は、仲良し夫婦がとても多い。
親の死と違って、つれあいの死は、もぎとられるようだろうな。
今まで連れ添ってきた半分がもぎとられたら、その部分が埋まっていくのに、すごく長い時間がかかるだろうな、、、
埋めることなんかできないかも。


……ここで、かなり考え込みましたが、個人情報丸出しですが、母への喜寿祝をご披露。
個人情報なら、かつて母が新聞に載ったときの写真も披露したしな(^_^;)





卓球のことばっかり書いていただいてしまったけど、今となっては、「夫婦円満」系の文言も入れていただいたらよかったな、、、
母は、自分の母親もおばあちゃんも、七十七歳で亡くなったので、これから先は、+αの余生と思って生きていくと申しております。
まだまだ卓球は続けるそうです。生きてる限り続けるのではないだろうか、、、


Tさん、きっと母に「ワシのことも毎年思い出してくれ」ってことで、母の誕生日に召されたんだよ。

Tさんと実父もきっと、天国で再会を喜んでいることでしょう。
お互いのパートナーがやってくる日まで、酒盛りでもしながら、どうぞこれからもこの世でもう少し頑張るわたしたちを応援してください。
  


Posted by TAKAMI at 18:27Comments(0)人生妙なり